広島で生まれた、世界初の化粧用具。

コットンの父、井手下雪夫

story

今では当たり前のように私たちが使っているコットン。それは世界で初めて、広島で生まれたものだった。そのコットンの生みの親の名前は、井手下雪夫。彼の思いやりの心から化粧用コットンは作られたのだ。
その道のりは決して、平坦なものではなかったという。

はじまりは早朝の
販売会社から

1961年のある寒い朝のことだ。

資生堂広島販売会社常務の井手下雪夫は会社へ向かっていた。吐く息が白い。社内には、まだ始業前にもかかわらず何人かの人影が見えた。美容部員たちである。彼女らの吐く息もまた、白かった。冷えて赤くなった手をさすりながら脱脂綿を薄く割き、ハサミで小さく切り分けている。

何の準備をしているのだろう。不思議に思った井手下はたまらず美容部員に話しかけた。「どうして、脱脂綿を切っているのですか」。美容部員は顔を上げる。「ドルックスを試す際に使うんです。お客さまのお肌に直接触れるのは衛生的に嫌がられてしまうのではと思いまして…それに、脱脂綿に化粧水を取った方が、使用量が分かりやすいんです」と脱脂綿を切りながら美容部員は言った。

「なるほど…」確かにその方がお客さまに気持ちよくドルックスを試してもらえる。しかし、毎日たくさんの脱脂綿を切り分けるのは、美容部員たちにとって大変な負担になっているのではないか。この疑問はしばらく、井手下の頭から離れなかった。どうにか、美容部員たちの負担を減らしたい。

そして、ひらめく。「化粧用のコットンをつくろう」ここから、化粧用コットン製造の幕が上がる。

期待を胸に、製作開始

化粧用コットンを製造してくれる企業を探すため、井手下は社外役員の元へ向かった。美容部員たちが朝早くから準備をしていること、美容部員には販売員として化粧品店での販売に専念してほしい想いをぶつけた。社外役員は「そうか」と頷き、「知り合いに綿屋がいるので、つくれるかどうか相談してみましょう」と微笑んだ。ほっと、胸をなでおろす。感謝を述べた井手下の顔は安堵と希望に満ちていた。

その日の夕刻、社外役員から紹介され、井手下が連絡を取った先は、当時広島でふとん綿や医療用脱脂綿を製造していた山陽綿業株式会社(現株式会社サンヨーコーポレーション)。翌日、井手下が直接依頼をすると、山陽綿業の場長は二つ返事で引き受けてくれた。会社に戻る井手下の足取りは軽い。何もかも上手く行っているぞ。胸がはやる。視界は開けて、明るかった。しかし、化粧用コットンづくりは早くも難所を迎えることとなった。

試作品完成、
しかし…

「試作品です。いかがでしょうか」程なくして、試作品第一号が完成し、山陽綿業場長はオート三輪トラックに試作品を積み込み、販売会社に足を運んだ。

井手下と美容部員たちは早速コットンに化粧水を含ませる。
すっ、とコットンの中へ染み込んでいった。それぞれの期待が高まる中、コットンを肌に当てると―。

…どうにも肌触りが悪い。繊維が固いのだろうか。そのまま、しばらく頬や、首へとコットンを当てていく。井手下は愕然とした。化粧水が肌に入っていかないのだ。美容部員たちも難しい顔をしている。その場にいた全員が肩を落とした。

一度吸った化粧水は肌に戻さなければ意味がない。化粧用コットンは吸水性だけに特化している脱脂綿とは全くの別物だった。試作品第一号は失敗に終わったのである。

その後、いくつもの試作品をつくったが、美容部員からはレベルアップするよう細かい要求が何度もあり、課題をひとつずつ解決するための試行錯誤がしばらく続いた。心が折れそうになる井手下に、場長は力強く言う。「必ず、良いものをつくります。どうか、頑張らせてください」

何度も試行錯誤を続け、
見つけた答えとは?

山陽綿業の工場は昼夜問わず動き続けていた。場長含め6名のスタッフの額には汗が滲む。試作品第一号から何度も試行錯誤を重ね、その度に販売会社へ足を運び美容部員たちと意見を交わしあった。

“この厚さだと化粧水が裏にしみてしまう”“今のサイズでは指にはさみにくく、使いづらい”美容部員たちの意見ひとつひとつを分析していきながら、それらを解決する方法をみつけ、実現させていく。初めての試みのため、参考になる事例もない。それでも全員が満足する化粧用コットンをつくらなければ。これには工場のプライドがかかっていた。「負けられない」と場長は呟く。

場長は井手下に初めて会ったときから、彼の強い思いに心を打たれていた。この人のために良いものを作るのは技術者冥利につきる。頭の中は常に化粧用コットンのことが巡っていた。

どうすれば、要望に応えられる肌触りにできるのか。どうすれば、吸水性も、放出性も高いものが作れるのか。今までの試作や美容部員たちの声をたぐりよせ、あることに気付く。それは繊維だ。今までつくっていた脱脂綿の綿花は太く、短い繊維のものだった。では、それを細く、長い繊維にしたら…?

すぐさま立ち上がり、スタッフたちに呼びかける。「世界中から綿花を集めるんだ!」もしかすると、また失敗するかもしれない。不安はもちろんある。それでもやるしかないだろう。場長の目は真っ直ぐだった。

これからも愛される
コットンを

「どうぞ、試してください」
何号目かわからない試作品が、井手下と美容部員に手渡される。期待と不安がないまぜになった気持ちで、恐る恐る肌に当てると、ふわりと優しい感触が肌に触れた。化粧水も肌に行き渡る。井手下は思わず場長の手を固く握った。場長も強く、握手を返した。

1962年、ついに化粧用コットンが完成した。「本当に、ありがとうございました」井手下は深く頭を下げた。これは感謝でもあり、尊敬の意でもある。完成したコットンは納品後、美容部員たちに配られ、早速化粧品店で使用されるようになった。お客さまの評判は上々。中には持って帰って使いたいと美容部員から何枚かもらう人もいたという。

コットンの滑らかな肌触りは人々のスキンケアへの意識を大きく変えた。「化粧水ってこんなに気持ちいいものだったのね」とドルックスを手にしたお客さまが笑う。

この気持ちよさはすぐさま話題となり、ドルックスの売り上げは大きく上昇した。その販売効果を聞きつけた多くの化粧品店が、化粧用コットンを使用したいと依頼してきた。そして、1963年には全国の化粧品店で化粧用コットンが使われるようになった。

さらには、お客さま用に商品化され、店舗にも並ぶように。その4年後には海外への輸出も始まり、コットンでお肌のお手入れをする文化が日本から世界へ広がっていったのである。

誕生してから半世紀以上。今では9種類以上も販売され、幅広い年代に愛されて続けているザ・ギンザ特選コットン。その高い質と機能性は、私たちの肌を優しく守っている。製作当初から受け継がれてきたおもてなしの心を抱きながら、ザ・ギンザ特選コットンは更なるステージへと歩んでいく。

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